60にして道を間違った?

定年後の仕事として通訳を選んで、57歳からの3年間フルタイムの仕事をしながら、夜間の通訳学校に通いました。60歳でどうしても会社を辞めたかったため、勉強にふるコミットメントし、この3年間、ほとんど土日に遊ぶと言うことがなくなりました。そのかいあって、定年退職後、通訳になり、現在ある会社の社内通訳としてまたフルタイムで働いています。

が、しかし、これが楽しくないのです。ずっと営業畑のプレイングマネージャーとして働いて来た私は、黒子になりきれないのです。毎日同じような内容の通訳と翻訳にワクワクできない。

これは60歳にして道を間違ったか!と思い悩む日々です。新緑がきれいな季節だと言うのに・・・

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新緑と青空

 

幸せな日々だった‼️

今日のNHKスペシャル、"密着ドキュメント コンマリ流片付け"で、過去の思いでの品を見て、辛い日々を想い出し泣く固方々の様子を見てて思いました。私は想いだして、泣くほど悲しいことは父を交通事故で亡くしたことだけです。
今まで、恵まれた幸せな日々だったと改めて思いました。

パーソナルコンサルタント

私には贅沢なことにパーソナルコンサルタントがいます。彼女は人材育成のエクスパートで元同僚にして10年来の友。先日、久しぶりに会いました。最近彼女の監修でナガサキの原爆関連の小説の新版を出版されました。関係者の理念あふれる本で装丁もとても素敵。丸善に平置きされていました。私まで誇らしくなりました!!

今回もアウトプットをするように、ブログを書くようにと強く薦められ、このブログを再開しようと思いました。何度も、何年も言われているのに、できていない私をあきらめずにいてくれます。本当にありがたいことです。

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息子を国際人に 高校生になったら交換留学生に④ 留学直前

<不安無し!>

 

アメリカへの留学出発前に留学機関のAFSからアンケート用紙が親と子に来ました。出発にあたり、何か不安に思うことはありませんか?と言う問いでした。

 

母親としては16歳のポヤーッとした頼りない息子を1年間異国に送るのですから、いざ出発となると不安はいろいろありました。英語がある程度できるとは言っても、ネイティブのレベルではありません。日本で大きくなったため、とても日本人的な息子でしたので、現地で不適応を起こして鬱になっちゃったらどうしようなど、不安は湧いてきます。それを私が用紙に書いている隣で、息子は早々と書き終えた様子。見ると一言“不安無し”と書いているではありませんか!“あんた何も不安に思うことないの?行ったことないところに行くのに。”と私が申しますと、息子は怪訝な顔をして、“お母さん何言うてんの。楽しいと思うから行くのに、何で不安なん?”と申しました。私はハーッと肩の力が抜けました。

 

“楽しいと思い込ませる”作戦大成功でした。

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息子を国際人に 高校生になったら交換留学生に③ ホストファミリーが決まった!

 

We are Basque.

 

息子の留学が決まった後、早々とホストファミリーが決まりました。

なかなか時間がかかる場合もあるとのことでしたが、先方が息子の写真と紹介文をとても気に入って下さり、是非にと希望して下さったと言う嬉しいお知らせがAFSから届きました。それと同時に、ホストファミリーの家族構成や民族的背景などが分かる簡単な紹介文が送られてきました。離婚したお母さんと息子と同い年の男の子がいるご家庭とのこと。“うーんどこまでも父親に縁のない子だわ”と思いましたが、とても興味深い一文を発見。バックグラウンドの欄にWe are Basque.(私たちはバスク人です。)と書いてありました。

 

<誇り高い移民の末裔>

 

息子が参りましたのはアイダホの州都ボイジーから来るまで10分くらいのスター市と言う町です。ボイジーの発展にはスペインのバスク地方からの移民が多いに貢献したそうです。お世話になったファミリーは3世代前にバスクからやってきた方々でした。3世代前ですので、もちろんスペイン語は全く話せませんし、食べ物も完全にアメリカナイズされていました。でも、”We are Basque.”と高らかに宣言する姿勢は先祖が祖国から持ってきた文化とボイジーを作ったと言う誇りに満ちています。私はこの一文で、留学させることにして良かった!と思いました。“移民の国アメリカ”でこれから息子が出会う、日本では経験できないことにワクワクしました。

 

 

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息子を国際人に 高校生になったら交換留学生に②

<AFS>

私たちは幸運に恵まれました。息子が入学した大阪の公立高校は20年以上、ニューヨークに本部を置くAFSと言う交換留学組織の提携校として、毎年留学生を受け入れていたのです。また、英語の先生のご子息が3年前にその組織でアメリカに交換留学に行って戻られたこともあり、先生もとても協力的でした。AFSは世界大戦中に傷病兵の救護輸送に携わったアメリカのボランティア組織American Field Service(アメリカ野戦奉仕団)の活動を起源に持ちます。1947年に交換留学機関としての活動を始め、現在の加盟国は60か国以上、交流国は100か国以上に及びます。同時通訳者として名高い鳥飼玖美子さん、元外相の川口順子さん、元財務官の榊原英資さん、歌手の竹内まりあさんなど過去には錚々たる方々がAFSで留学されました。

 

 <しっかりしたサポートシステム>

この組織の素晴らしいところは、受け入れるホストファミリーが完全にボランティアで1円の報酬も受け取らないところ、事前のそして留学中も現地でのしっかりしあ研修があること、現地でもリエゾン・パーソンと言うスタッフの方がいらっしゃり、不適応の生徒をできるだけ出さないよサポート体制あり安心なことです。実際に息子の高校から留学した先輩お二人にお話しを聞きましたが、一人は前述の先生のご子息でアメリカに行かれ、もう一人は3年先輩のお譲さんで、留学先はオランダでした。お二人ともとても充実した楽しい一年でしたとのことで、私たちはこちらにお世話になることに決めました。

 

 <選抜試験は思い込みが大事>

1年生の夏に選抜がありました。英語の志願書と簡単な筆記試験と面接だったと思います。英語の志願書は私が息子が分かる単語で書きました。(この部分は親や学校の英語の先生の助けが必要です。) 面接は難しいものではなく、息子の話から察するに“行きたい”と言う気持ちがどれほど強いかを見られるものだったと思います。うちの場合は5才から思い込ませているのでばっちりで、無事翌年の9月からの交換留学が決まりました。

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息子を国際人に - 高校生になったら交換留学生に①

<高校生になったら1年アメリカに!>

3つ目の“高校生になったら交換留学生として1年留学させる”ですが、これも小さい時から、“アメリカに留学したら、英語も上手になるし、いろんな人に会えるしとても楽しいよ。ずっと公立の学校に行ってね。そうしたら、あんたが高校生になったら、アメリカに1年行かせてあげるからね”と刷り込みました。幸い離婚しており、ただ一人の親であったせいか、息子はごく自然に高校生になったら留学するんだと思って育ちました。

 

<どの高校に行っても国際人になれる>

実はどの機関を使って留学させるかなど、何も決めずに調べもせずに留学させることだけを決めていました。高校に入ってから調べようくらいに考えており、”執念のバイリンガル教育“の割には、きちんと計画していたわけではありませんでした。と言うのも息子が6年生になってすぐ、私はアメリカの衛星放送チャンネルより、仕事のオファーをもらいました。家の唯一の稼ぎ手でしたので、仕事第一に考え、彼を大阪の私の母に預けて東京に転職でまいりました。日本法人はとても小さな組織でしたが、立ち上げでしたので本当に忙しく、月に1度の帰阪時以外は、なかなか息子の留学先など調べる余裕がありませんでした。それどころか、高校受験ですらおばあちゃん任せで母である私は参戦せず、”元気で学校に行ってくれれば良いや“と言うスタンスでした。だって、どの高校に行っても国際人になれますから。

 

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