息子を国際人に その3 楽しいと思い込ませる

<世界があんたを待ってるよ!>

 

さて、2つ目の“英語を話せたら将来楽しいことがあると思い込ませる”についてお話しします。

大阪に戻ってすぐ、地球儀を買いました。赤く塗られた小さな日本を息子に見せ、“日本はこんなに小さい国やよ。日本語はここだけで話されてるの。日本以外に世界にはこんなにたくさん国があって、いろんな人が住んでて、きれいなところや面白いところがいっぱいあるよ。英語が話せるようになったら、この世界中のどこに行っても、友達ができるし、一緒に楽しいことができるのよ。大きくなったら、あんたが本当にやりたいことなら、お母さんは何でも応援してあげるよ。でもね、何を選んでもいいけど、世界の友達と一緒にできるようになろうね!世界は広いよ、世界があんたを待ってるよ!”と言い続けて育てました。大阪から出たことの無い超ドメスティックな私の母はそれを聞いて、“またお母さんのほら吹きが始まった”と言っておりました。

 

<母にそう育てられたから>

 

大人になってからでしたら難しかったでしょうが、まだ幼かった息子は、“そうやね、お母さん。英語ができたら楽しいんやね”と多いに思い込んで育ちました。長じて、アメリカの大学院受験のための日本の奨学金に応募した面接で“どうしてアメリカの大学院に行きたいのですか?”と聞かれて、”母にそのように育てられたから。“と大真面目で応えたそうです。(ちなみに大学院には合格しましたが、その奨学金はいただけませんでした。)

少なくとも愚息と私の場合は、親の姿勢がバイリンガルに育てるのに大きな役割を果たしました。

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息子を国際人に その2 美しい発音を身に着けさせる

<幼いうちは音のみ>

子どもが幼い時の英語教育は、美しい音を身に着けさせ、英語に対する興味を持ち続けさせると言う2点に尽きると思います。母国語=日本語の体系が頭の中でできていないうちは、これ以上のことを学ばせようとしても無駄だと思います。かくして大阪の片田舎で私の執念のバイリンガル教育が始まりました。発音を残すためにはネイティブスピーカーの音を継続して聞かせる以外ありません。それもただ、音楽やビデオを流しておくのは、意識がそちらに向かないため効果が無いと思います。20年前の大阪の郊外には、ネイティブの保育士さんのいる保育園などなく、インターナショナルスクールなどもちろんありませんでした。たとえあったとしても離婚の母でしたので、経済的にそのような学校に通わせることは難しかったと思います。

 

 <週一回の一対一レッスン>

そこで私は息子に一対一のネイティブスピーカーのレッスンを受けさせることにし、電車で20分ほどのターミナル駅にある英会話学校めぐりをしました。学校には3年分ほどまとめて支払うと言うことを条件に担当して下さる先生とお話しさせてもらい、あまりにオーストラリアやニュージーランド訛りの強い先生、息子と(私と?)相性の悪そうな先生は避けました。父が定年退職して家におりましたので、週一回のレッスンに5才の息子を連れて行ってくれました。幸い息子は父が駅のベンチで毎週飲ませてくれたコーヒー牛乳に惹かれてか、喜んで通いました。この一対一のレッスン通いが17歳で交換留学に行くまで12年続くことになりました。

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息子を国際人に - その1

 <美しいネイティブの音を残したい!>

息子は生後半年から5才半までアメリカで育ちました。母親(つまり私)の離婚で5才半で大阪に戻りました。帰国当時、アメリカの幼稚園に通っていた息子は、ネイティブの子と同じように英語をしゃべり、私には絶対出ない音が出ました。何年も英語で苦労してきた私は、なんとしてもその音を残したいと思いました。

 

ダイバーシティーは楽しい!>

さらに、5年間のアメリカ滞在の経験、特に大学院で学んだ経験から、今風に言うとアメリカ社会のダイバーシティーがとても楽しく、アメリカ人のタフさも面白く、日本の価値観だけがすべてではないと身を持って感じ、息子を世界を舞台に活躍する国際人にしたいと切望するようになりました。そして、それが私の子育てのミッションになりました。

 

<国際人への3ステップ>

当時私が考えたことは、①美しい発音を残す。②英語を話せたら将来楽しいことがあると思い込ませる。③高校生になったら交換留学生としてアメリカに1年送るの3点でした。それぞれについてお話しします。

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東海岸気質 VS 西海岸気質

 

<NYに住んでいたスーちゃん>

週末に25年来の友人がアメリカから一時帰国し拙宅に来てくれました。彼女、スーちゃんとは現在27歳の息子が1歳から1歳半までマンハッタンに住んでいた折に知り合いました。タイムズスクエアからほど近い47丁目の同じマンションに住んでいたからです。スーちゃんはニューヨークのジュリアーノ音楽院に通うため19歳で渡米、それ以降30年以上をずっとアメリカで暮らしています。

 

<NY気質とカリフォルニア気質>

17年前、縁あってアメリカ人のご主人と結婚し、現在の居住地であるロサンジェルス郊外のマリブに移住しました。ニューヨークで20年近く住んだスーちゃんによると、もちろん人によって違いはありますが、東海岸と西海岸には気質の違いがあると思うとのことです。ニューヨークやボストンのような東海岸では、努力して高い教育を受けることがステータスを作り、リベラルな人々が多いそうです。これに対してロサンジェルスはさすがハリウッドの街だけあって、飛びぬけた才能で一攫千金を目指す人が多く、保守的な考え方の人が多いとのこと。勤勉な日本人の血が流れる、名古屋出身のスーちゃんは、東海岸の方がずっと肌にあっていると言います。

 

<息子は熱烈日本人?>

この話を聞き、ボストンの大学院に留学中の息子の話を思い出しました。息子は昨年6月に修士課程を終え、現在博士課程の1年目。修士と同じ大学の博士課程に進学したのですが、プランBとして先輩が助教授として教室を持っているスタンフォードにも願書を出すため、見学に行った折のお話しです。

カリフォルニアの空はボストンと違い、どこまでも青く、キャンパスは広々として本当に美しく感動したそうです。また、その先輩を始め、研究室の方々もとても感じよく接して下さったとのこと。また、ワークライフバランスがはっきりしており、研究者たちも6時には学校を出て、プライベートな生活を楽しむそうです。そこまで聞き、私はスタンフォードを第一志望校にするのかと思ったら、息子は「僕そこが嫌やねん。ワークライフバランスなんかいらん。僕にとってワーク イズライフやから納得するまで研究室でやりたいねん」と言いました。日本人気質と言うか、まさにスーちゃんと同じく、東海岸気質が肌に合う息子の言葉でした。

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